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自分探しをするならば。


これどうぞ、と譲っていただける

多種多様な子供の服やおもちゃ。

善意で巡り巡る、モノの命。

ありがたくて、

我が家にはこちらをお迎えしよう、

と決めたもの以外は、

寄付出来る場所や

新たな妊婦さんに手渡しました。

こまめにやることで滞りがなく、

今の所、代謝がいいです。

そんな風にできるのは、

目に見えるものの時。

人の流れについても、

同じなのだなと

気がつきました。

お茶出してくれるから

お昼をここで食べさせて、

この荷物預かってあとで渡して、

ここで打ち合わせさせて、

暇だからここで本読んでいい?

お店にはそんな希望、要望も多く、

人が集る場所を

作りたかったから嬉しいな、と

ほとんど受け入れているうちに、

最初はあった筈の境界線が、

見えづらくなっていきました。

自分の輪郭までぼんやり。

その要望、たとえば

知り合いの○○さんのお店にも

できるかな?と考えたら、

きっとやらないだろうなぁと思う。

何でも『いいよいいよ、どうぞどうぞ』

と、言い続けたら、

遠慮もなくなるのは

当たり前のこと。

ここからはダメですよ、

と言えば、

人が集る魔法がとけそうで、

怖かったのかもしれません。

それでも、空間や時間を

手渡すことで、

当時は全く困らなかった。

子供が生まれ核家族になり、

本当に時間が無くなってから、

…初めて困ったのでした。

大いに時間があった頃の私には、

可能だったこと。

モノを減らすように、

使える時間が減ったら、

あ、境界線がぼやけてた、

と自覚が際立ちました。

店内や在庫部屋のモノたちも

少しずつ処分しています。

もっと早くに引導を渡して

自由にさせてあげればよかった。

見切りをつけてあげたらよかったね、

そう感じるものが多く出てきます。

減らして減らして、

残ったものが、

『お店の個性』なのかも知れません。

それは、自分自身にも言えること。

持ち物を減らして減らして、 見えてくるかもしれない。

ついつい、外側へ

探しに行こうとするけれど。 表皮を減らしちゃったら、 痩せた本体が露呈するかもしれません。

それでは無防備で危険?寒い?

何よりも恥ずかしい… だとしても、個性や自分探ししなくても

そこに見える。

いつでも触れられる。 まだまだだなぁ。

そうなるまであとどれだけ、

片付けたらいいんだろう。

それでも、

そこには確かな希望が

チラリと覗いているような気がします。

受け入れられる器を手に入れたら、

鷹揚にまた、人もモノも

自然と招き入れてゆけるでしょう。


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